城のなごり(中部)
甲府城 稲荷櫓 戦国時代の甲斐といえば武田氏。甲斐の府中という意味を込めて、この地を甲府と名付けたのも武田氏です。その武田氏が滅んだあと、武田氏の館に代わる新たな統治の拠点として甲府城は築かれました。甲斐国の支配は織田・徳川・豊臣と短い間に…
甲府城跡には立派な天守台があります。 甲府城 天守台 かなり立派な天守台です。どのような天守がそびえ立っていたのか興味深いところですが、実は甲府城に天守は無かったという説が有力となっています。説の背景として、甲府城の記録に天守の存在を示す文言…
<鉄門>くろがねもん甲府城本丸の鉄門です。舞鶴城公園として復元整備が進む甲府城跡で、ひときわ目をひく城門です。 本丸側から見た鉄門。石垣と石垣に囲まれた2階建ての櫓門です。ここは本丸南側の出入り口で、改名前は南門と呼ばれていました。 鉄門は江…
甲府城の本丸を探索中、設置されている案内プレートに『暗渠』の文字を見つけました。<暗渠>あんきょ地下に埋設された川や水路を暗渠といいますが、こちらは石垣を積み上げる際に底辺に設けた排水路を指しているようです。『雨水などが盛土や石垣内部にた…
石垣が見どころのひとつなっている甲府城で、いかにもコツコツと積み上げた石の壁を見かけました。<野面積み>のづらづみかなり高い…石垣の上の城壁の向こうは稲荷曲輪です。 説明プレートが設置されていました。説明文は短いのでそのまま転記させて頂きま…
甲府駅の北側には、大手門と勘違いしそうな立派な城門が復元されています。<山手御門>やまのてごもん立派すぎる… かつての甲府城に三つあったとされる出入口のひとつ「山手御門」です。甲府城の北西側に位置する重要な外郭門でした。 <渡櫓門>やぐらもん…
<稲荷櫓>いなりやぐら甲府城を象徴する稲荷櫓です。高く積まれた石垣のすぐそばまで線路が迫っています。 こちらは稲荷櫓の説明プレート。城内の鬼門に位置し、武具蔵としても使われたことや、調査結果を踏まえて平成16年に復元された旨が記されています。…
甲府駅を下車して城探索を開始しようとした時に、線路の向こう側にひときわ目立つ鐘楼を見つけました。あんな場所に…観光用だろう 甲府城が目の前だったので、最初はその程度にしか思いませんでした。しかしあとから、江戸時代の甲府城下にあった鐘楼を、史…
武田氏館跡 甲府市の武田氏館は、武田信玄の父・信虎により1519年(永正16年)に築かれました。信虎は甲斐国内の内乱を鎮めて甲斐統一を成し遂げて、武田氏を戦国大名へと押し上げた武将です。居城を川田館からこの地へ移し、城下町形成の基礎を築きました。…
田舎のほのぼのとした景色のようですが、これは日本100名城にも選ばれている武田氏館跡の外郭です。この辺りは味噌曲輪と呼ばれ、館の中核である主郭・西郭とは内堀を隔てた北側に位置しています。味噌曲輪は名の通り、味噌を含む食糧・物資の貯蔵を行ってい…
武田信玄を祀る武田神社です。 水堀と石垣がひときわ目をひくため、ここがかつて軍事的な拠点であったことを実感します。 武田神社境内はかつての武田氏館の主郭部分です。ただこの立派な参道は、武田氏時代のものではありません。 主郭土塁に関する説明板で…
<高遠城>たかとお信州高遠城跡です。この城を拠点に、織田信長の侵攻に最後まで抵抗した武田の武将がいました。 ■ 仁科盛信 ■にしなもりのぶ仁科五郎盛信は武田信玄の五男。勝頼の異母弟です。四男の勝頼が諏訪氏を継承して諏訪四郎勝頼を名乗ったの同じく…
越後国府として栄えた上越は、戦国時代から江戸時代にかけて城下町として発展しました。上越に築かれた統治者のための三つの城(春日山城・福島城・高田城)について、当ブログの過去記事と合わせてご紹介させて頂きます。 春日山城 春日山城は越後府中の詰…
春日山城 上杉謙信の居城・春日山城です。山がそのまま城という壮大なスケールです。 ■長尾氏の城■春日山城の築城年は正確にはわかっていませんが、南北朝時代に越後国守護・上杉氏が、戦時の拠点として築城したのが始まりとされています。のちに守護代・長…
春日山城の毘沙門堂です。毘沙門天の熱心な信奉者であった上杉謙信は、出陣前には毘沙門堂に籠り、戦略を練るとともに勝利を祈願したと伝わります。毘沙門天は武神であり、自らをその化身と信じる謙信にとって、ここは特別な場所でした。 建物がほぼない春日…
ここは春日山城の三の丸跡です。屋敷や米蔵が設けられ、総称として三の丸屋敷と呼ばれました。その中に、謙信の養子となった上杉三郎景虎の屋敷もありました。 三の丸の説明板です。上杉三郎景虎について『小田原の北条氏康の七男であり上杉氏と北条氏の同盟…
上杉謙信銅像と春日山神社訪問後、あとは千貫門跡や直江屋敷跡などを経由しながら春日山の頂上を目指そうと思った矢先、こんな説明板を見つけてしまいました。 御屋敷?御が付くということは…左手の道が登山道。説明文には、ここから下ったところに御屋敷跡…
春日山城址の上杉謙信を祀る神社です。 明治34年(1901年)に山形県米沢市の上杉神社より分霊され創建されました。謙信の遺徳を慕う旧高田藩士の小川澄晴が創建しました。高田藩は上越市内の高田城を藩庁とする藩、言い換えると地元の藩です。創建にあたって…
春日山城探索のはじまりとして、山の中腹に立つ上杉謙信公銅像に立ち寄りました。 絵としては何度も見ていますが、実物を見るのは初めてでした。この銅像は、上杉謙信の半生を描いた1969年のNHK大河ドラマ「天と地と」の放映にあわせて建立されたものです。…
復元された春日山城の大手道です。説明板の冒頭には『この道は、江戸時代に描かれた春日山城の古絵図に大手道と記載されていたことから、当時の人々もここを春日山城の正面玄関と考えていたことがわかる』と記されていました。このまま進めば番所跡、南三の…
善光寺の東側の山に築かれた城跡を訪ねました。<横山城>横山城の始まりは南北朝時代とされています。のちに川中島の戦いで武田信玄と対峙した上杉謙信が、陣をしいたことでも知られています。 <健御名方富命彦神別>城跡は広範囲に公園として整備され、本…
松代には、真田家の歴史と、城下町として栄えた江戸時代の面影が色濃く残ります。 藩政の拠点だった松代城は勿論… 時の鐘 藩校(文武学校)跡や… むかしの屋敷がしっかり残されています。 松代は、1622年に真田信之が上田から移封したあと、約260年にもわた…
上田でも沼田でもない真田十万石の城を訪ねました。 松代城 戦国武将・真田信之から始まり、明治の廃藩置県まで10代250年続いた松代藩10万石の城跡です。 こちらは城内の海津城址之碑。城の始まりに関する詳細不明ですが、戦国時代に甲斐の武田信玄が、越後…
海津城址之碑 海津城は武田信玄と上杉謙信が激突した川中島の戦いにおいて、重要な役割を果たした城です。信玄の信濃支配の拠点であり、第四次川中島合戦(八幡原の戦い)では、武田軍の出撃基地となりました。 山本勘助が、もともとあった城を改修し、短期…
武田信玄と上杉謙信が激突した「川中島の戦い」で、最も激戦となった古戦場を訪ねました。 信濃国・川中島古戦場。私が訪問した古戦場は史跡公園として整備されています。 甲斐国・武田信玄 越後国・上杉謙信 甲斐の武田信玄は、信濃国の南部・中部を制圧し…
八幡社境内の首塚です。 塚の上の石柱に刻まれた文字は甲越直戦地。この地は甲斐武田と越後上杉の激戦となった古戦場です。 説明板によれば、以前この塚は屍塚(かばねつか)と呼ばれたようです。第4次川中島合戦(永禄4年9月)の後、武田方の海津城主・高坂…
川中島古戦場の八幡社拝殿脇の大木に、説明板が設置されていました。奇跡のような話を下手に私が咀嚼するより、説明文をそのまま転記させて頂きます(『』内は原文写し)。 『山本勘助の進言による「キツツキ戦法」の採用を決定した武田信玄は、永禄四年(一…
川中島古戦場跡のシンボルともいえる「信玄・謙信一騎打ち像」です。 上杉謙信は馬上から刀を振り下ろし 武田信玄はこれを軍配で受け止めようとしている瞬間です。迫力満点の両雄の像です。 両雄は約12年間の間に5度にわたって激突しています。特に激戦と…
上田城跡を訪問しました。 <上田城>上田城本丸の南櫓と北櫓。真田の城として知られていますが、のちに仙石氏・松平氏の居城となり、江戸時代を通して存続しました。 <石柱>深い歴史の上田城は日本100名城に選定されています。 ■築城と破却■ 上田城は1583…
上田城本丸跡の真田幸村像です。 真田の城・上田城を久しぶりに訪問して実感するのは、真田といえばやはり真田幸村なのだなということですね。 この城の築城者である真田昌幸は、武勇に優れる一方で、はかりごとを得意とする武将でした。これに対し、幸村は…