城のなごり

消えてなお残る余韻を求めて城跡を訪ね歩く記録です。

新潟

上越三城(春日山城・福島城・高田城)

越後国府として栄えた上越は、戦国時代から江戸時代にかけて城下町として発展しました。上越に築かれた統治者のための三つの城(春日山城・福島城・高田城)について、当ブログの過去記事と合わせてご紹介させて頂きます。 春日山城 春日山城は越後府中の詰…

不識院阯(春日山城)と謙信公御堂跡(米沢城)

<不識院阯>ふしきいん春日山城の不識院阯です。不識(ふしき)は高僧・達磨大師の言葉を引用したものです。達磨大師は、仏教とは何かという問いに「そんなもの知らん」と答えることで、執着を捨てることの大切さを諭したと伝わります。悩みの多かった若き…

春日山城のなごり

春日山城 上杉謙信の居城・春日山城です。山がそのまま城という壮大なスケールです。 ■長尾氏の城■春日山城の築城年は正確にはわかっていませんが、南北朝時代に越後国守護・上杉氏が、戦時の拠点として築城したのが始まりとされています。のちに守護代・長…

春日山城の毘沙門堂

春日山城の毘沙門堂です。毘沙門天の熱心な信奉者であった上杉謙信は、出陣前には毘沙門堂に籠り、戦略を練るとともに勝利を祈願したと伝わります。毘沙門天は武神であり、自らをその化身と信じる謙信にとって、ここは特別な場所でした。 建物がほぼない春日…

内乱の始まりとなった三の丸屋敷(春日山城)上杉三郎宅阯

ここは春日山城の三の丸跡です。屋敷や米蔵が設けられ、総称として三の丸屋敷と呼ばれました。その中に、謙信の養子となった上杉三郎景虎の屋敷もありました。 三の丸の説明板です。上杉三郎景虎について『小田原の北条氏康の七男であり上杉氏と北条氏の同盟…

春日山城の御屋敷跡

上杉謙信銅像と春日山神社訪問後、あとは千貫門跡や直江屋敷跡などを経由しながら春日山の頂上を目指そうと思った矢先、こんな説明板を見つけてしまいました。 御屋敷?御が付くということは…左手の道が登山道。説明文には、ここから下ったところに御屋敷跡…

故郷に祀られた上杉謙信(上越市)春日山神社

春日山城址の上杉謙信を祀る神社です。 明治34年(1901年)に山形県米沢市の上杉神社より分霊され創建されました。謙信の遺徳を慕う旧高田藩士の小川澄晴が創建しました。高田藩は上越市内の高田城を藩庁とする藩、言い換えると地元の藩です。創建にあたって…

春日山中腹に立つ上杉謙信像(上越市)

春日山城探索のはじまりとして、山の中腹に立つ上杉謙信公銅像に立ち寄りました。 絵としては何度も見ていますが、実物を見るのは初めてでした。この銅像は、上杉謙信の半生を描いた1969年のNHK大河ドラマ「天と地と」の放映にあわせて建立されたものです。…

春日山の相撲場(上越市)

春日山城を散策中に相撲場を見かけました。場所は馬場跡の下です。みつけた時は土俵とは思わず、調査中の井戸跡かなにかであろうと思いました。しかしこのあと目にした春日山城の絵図により、相撲場であることが分かりました。 こちらです。拡大すると 下か…

春日山の麓に鎮座する白山社(上越市)

春日山麓の御前清水の近くに、小さな白山社があります。白山社は木々に囲まれ目立たない場所ですが、赤い鳥居に導かれ、神域に足を踏み入れました。 こちらが拝殿です。緑に囲まれ、凛とした空気が漂います。ただ現地に説明板などはなく、扁額に記された「白…

山城の麓を迂回する大手道(春日山城)

復元された春日山城の大手道です。説明板の冒頭には『この道は、江戸時代に描かれた春日山城の古絵図に大手道と記載されていたことから、当時の人々もここを春日山城の正面玄関と考えていたことがわかる』と記されていました。このまま進めば番所跡、南三の…

出陣する上杉謙信の喉を潤した清水(上越市)御前清水

上杉謙信の居城・春日山城の大手道入口付近には、謙信が出陣の際に飲んだとされる清水があります。 御前清水と名付けられたこの清水は、「新潟県の名水」に選定されています。 上杉謙信は大きな戦いだけで約70回戦い、無敗はいい過ぎですが、ほぼ負けません…

春日山麓の上杉謙信騎馬像(上越市)

春日山城の上杉謙信像はとても有名ですが、麓にも立派な銅像があります。 騎馬像です。 馬上から今にも斬りかかってきそうな上杉謙信。川中島古戦場公園で見た「信玄・謙信一騎打ち像」を思い出します。上杉謙信にはいろんな側面がありますが、これは軍神と…

謙信公広場(上越市)街中に漂う有名武将のなごり

春日山駅から春日山城方面へまっすぐ伸びた県道43号線は、通称謙信公大通りと呼ばれています。その通り沿いには、同じく上杉謙信をイメージした広場があります。トイレもベンもチ完備。休憩も兼ねて立ち寄らせて頂きました。城の石垣をイメージしたもので…

高田城のなごり(上越市)

高田城は徳川家康の六男・松平忠輝が築いた大規模な近世城郭です。天下普請によって造られ、工事の現場を指揮したのは伊達政宗でした。江戸時代初期においては、加賀前田家をけん制する重要な城でしたが、徳川家と前田家の関係が改善すると、軍事的な存在意…

高田城本丸正門の極楽橋(上越市)

極楽橋の名の由来は不明ながら、俗世と聖域を分ける宗教的観点を背景に、ここが境界であるという意味が込められていると考えられる。

公園すみの二の丸残存土塁(上越市)高田城址公園

高田城二の丸跡はほぼ平らに造成されていますが、堀沿いに一部だけ土塁が残されています。

高田城下武家町の名木(上越市)村上のイチョウ

<ニ本公孫樹>今回は高田城址公園へ向かう途中で通過した武家町跡のイチョウの木の話です。 <高田駅前>初めて下車しました。お目当ては高田城ですが、城下も多少は見たかったので、徒歩で探索を開始しました。あまり寄り道すると時間がなくなってしまうの…

越後に祀られている榊原康政(上越市)榊神社

徳川四天王のひとり榊原康政を祀る神社を訪ねました。<榊神社>さかきじんじゃそれにしてもなぜ越後に… 榊原康政は戦国から江戸初期に徳川家康を支え続け、徳川幕府の礎づくりに貢献した武将です。ただ、初代館林藩主にはなっていますが、越後に赴任したこ…

越後今泉城のなごり(上越市)

上越市の今泉城跡は、南北朝時代に南朝に味方した村上氏の城と伝わります。御館の乱で敗れた上杉景虎が、逃走途中に立ち寄ったという言い伝えもあります。

越後福島城のなごり(上越市)直江津の城跡

直江津に築かれた福島城は、上杉氏の居城である春日山城の代わりとして堀氏によって築かれましたが、堀氏のあとに城主となった松平氏が別の城(高田城)を築いたため、7年という短命で廃城となりました。

直江津の兜池(上越市)奥州へ落ちのびる義経ゆかりの地

直江津の観音寺の池には、奥州へ落ちのびる源義経が、追手から逃れるために兜を投げ捨てたという伝説があります。