2019-01-01から1年間の記事一覧
今回は増上寺鐘楼堂のご紹介です。 <梵鐘>ぼんしょう こちらは徳川将軍家菩提寺の鐘。増上寺の大梵鐘です。 <関東最大級> 関東では最大級の大きさです。この鐘は延宝元年(1673年)に完成したもので、江戸の鋳物師・椎名伊予吉寛(しいないよのかみよしひ…
今回は増上寺付近を散策中に見つけた石碑の話です。 <石碑> 地下鉄御成門駅の近くに設けられた石碑です。あまりにもひっそりとしていて、足を止める人もいません。私も素通りしかけましたが、目に飛び込んできたのは『日本近代初等教育発祥の地』の文字。 …
新宿の繁華街に鎮座する花園神社をご存じでしょうか?新宿へよくいく人でも、あそこに神社があるなぁという程度で通り過ぎているケースが多そうですね。<花園神社参道> 江戸時代に甲州街道の宿場が設けられて以来、ずっと新宿総鎮守として街を見守り続けて…
つわものどもが夢の跡木曽義仲四天王の一人が砦を築いたと伝わる場所を訪ねました。<現地> こちらが今井四郎が砦を築いたと伝わる場所です。現在は氷川神社となっており、こちらは境内社の鳥居です。 ■赤坂氷川神社■ひかわじんじゃ <現地到着> ここです…
今回は太田道灌が奉納した宝刀がいまも受け継がれている神社の話です。 <久国神社>ひさくにじんじゃ 名の由来は名工として名高い刀鍛冶・久国。道灌が久国作の刀を寄進した神社です。 ■粟田口久国■ あわたぐちひさくに 久国について予備知識がないので、ウ…
今回は忠臣蔵名シーンのひとつ「南部坂 雪の別れ」の舞台となった坂道を訪ねました。場所は港区赤坂です。 <南部坂>なんぶさか 現在の南部坂です。付近に南部家の屋敷があったことからそう呼ばれています。 <説明> 南部家の中屋敷のこととともに『忠臣蔵…
本日12月14日は赤穂浪士討入の日。 昨年の今日は義士祭を目当てにちょっとだけ泉岳寺に立ち寄りましたが、人が多すぎて墓所までたどり着きませんでした。それでも、いまだにこんなに沢山の人達が集まる事が嬉しかったですね。 <赤穂義士祭>2018.12.14 義士…
本日12月14日は赤穂浪士討ち入りの日 ということで今回は米沢城本丸跡にある目立たない石碑をご紹介します。誰も足を止めない石碑 場所は上杉家と関連する刀や甲冑が展示されている人気スポット・上杉神社稽照殿のすぐ近くです。 正直、現地ですらすらとは読…
米沢城本丸跡からの帰り道 小さな標柱に足が止まりました。 <屋代町上の町> やしろまちかみのちょう 屋代町? ここは現在の住所だと米沢市丸の内です。どうやら旧町名が記されているようです。わざわざ記してあるには理由があるのだろう。そう思って側面の…
今回は上杉謙信の遺骸が納められていた御堂の話です。場所は米沢城本丸跡です。 ■上杉謙信祠堂跡■うえすぎけんしんしどう 上杉謙信の居城といえば越後の春日山城ですね。戦国最強の武将といわれた謙信は、春日山城で生まれ、春日山城で没しました(49歳)。…
令和元年の年末も押し迫った12月中旬 無理矢理休暇を取って米沢を訪ねました。 <米沢駅> この日は朝から霧が濃く、遠くの山々はもちろん、米沢の街並みも霞んで見えました。夏から秋にかけて訪問することが多いので、ちょっと不思議な光景でしたが、地元の…
高度に都市化された街にも秘境がある。今回は街探索のお仲間と歩いた北区赤羽のお話です。 <街の秘境> よそ者は通らない谷です。そこへ入り込んでいる人の暮らし。絶景と感じるのは私だけでしょうか。 ■赤羽台の細道■ 訪問したのは北区の赤羽台。表通りか…
まもなく師走という土曜日 半日仕事を終えて東京タワー方面へ。といっても展望台へ登るわけではなく、お目当てはすぐお隣りの古い寺院。こちらに大名家の大規模墓所がそのまま残ると聞き及び、足を運びました。 <金地院>こんちいん 東京タワーに隣接する金…
今回は『本陣』について。厳密には城用語とは言えませんが、古戦場などを訪ねると◯◯本陣跡なんていう石碑があったりしますよね。かと思えば、宿場の本陣などという言葉を耳にしたりもします。まぁあまりこだわらず聞き流す方も多いと思いますが、敢えて説明…
今回は陣屋についてです。<永田陣屋跡> こちらはさいたま市西区土屋の陣屋跡。江戸後期創建の長屋門が立派です。徳川家康の古くからの家臣で、関東代官頭をつとめた伊奈忠次が築いたことに始まります。伊奈陣屋、又は地名から土屋陣屋とも呼ばれています。…
今回は地元浦和を散策中に出会った神社の話です。<鳥居> 浦和区本太(もとぶと)の氷川神社です。規模は大きくないものの、住宅地にありながら緑に囲まれた素敵な神社です。 <水舎> <社殿> 歴史はかなり古く、創建年は定かではなものの、約1500年は鎮…
秋晴れの穏やかな日曜日 浦和の天王川のなごりを感じに行きました。 <天王川>てんのうがわ まぁ道ですが、いわゆる『暗渠』です。天王川の暗渠です。地下に埋設されているものの、今でも周辺の水を集めながら流れ続けています。水路のようにも映りますが、…
つわものどもが夢の跡 今回は城門と番所の位置関係が絶妙な掛川城の大手門の話です。<大手門の外観> 威風堂々!立派です! ■復元された大手門■ 実はこの門の存在を事前に知っていたわけではなく、掛川城から駅までの帰り道に偶然みつけました。行きとは違…
つわものどもが夢の跡山内一豊の居城として知られている掛川市の山城を訪ねました。<山頂の復元天守> ■中世から始まる城■ 始まりは駿河の守護大名今川氏が、勢力拡大を目論んで築かせた山城でした。築城者は今川氏の重臣・朝比奈泰煕(やすひろ)。以降代々…
この日は駅から徒歩で掛川城へ。まもなく到着というところで、橋を渡ることになりました。 <松尾橋> 山頂に築かれた掛川城天守が既に見えていましたが、しばしここで足を止めました。城好きなら当然想像するであろうことを味わうために。 これが天然堀だっ…
掛川城へ向かう途上、古風な建物と出会いました。 城下町を思わせるこの素敵な外観。良く見たら銀行でした。清水銀行掛川支店です。建物も魅力的ですが、外壁のレリーフがひときわ目をひきます。場所が場所ですから、あの武将は掛川城主にもなった山内一豊?…
城下町を訪ねると、職業や身分に由来する地名をよく見聞きしますよね。鍛冶屋さんが住んだであろう鍛冶町、人形を作る職人又は扱う商人が住んだであろう人形町、染物商(紺屋)が多く住んだであろう紺屋町、呉服町、材木町、大工町などなど。 身分だと鉄砲足…
(駿府城の追記です) <駿府城本丸跡の家康像> 徳川家康が少年時代を人質として過ごしたことはよく知られていますね。今川義元のもとで預かりの身となり、8歳から18歳までの約10年を駿府(現在の静岡市)で過ごしました。もう少し具体的言うと、今川家…
つわものどもが夢の跡 今回の訪問は天守台の発掘調査真っ最中の駿府城跡です。一般人も見学できると聞き、訪問しました。 こちらは復元された駿府城の櫓です ■近世城郭■戦国の世に終止符を打ち、江戸幕府を開いた徳川家康は、将軍職を三男の秀忠に譲り駿府へ…
かつての大宮宿南方にあったとされる刑場跡を訪ねました。<火の玉不動> さいたま新都心駅近くの『火の玉不動』です。左の道路は中山道です。 江戸の刑場跡を訪問する際はかなり躊躇しましたが、今回の訪問は大宮の『涙橋跡』を目にした時に既に決めていま…
さいたま市大宮区で橋の痕跡と出会いました <涙橋跡> なみだばし?そう刻まれた石碑の土台は実際に使われていた橋の一部でしょうか? 涙橋と言えば、思い出すのは荒川区の泪橋。刑場へ向かう罪人が涙ながらに渡ったことからそう呼ばれるようになりました。…
都内にもある城のなごり 今回は吉良氏が居城とした世田谷城の支城ではないかと伝わる三宿城跡を訪ねました。 <三宿の森緑地>みしゅく それらしい光景?まるで曲輪を取り囲む土塁の跡のようですね。しかしこれは公園として整備されたもの。事前にお話しして…
日比谷濠から和田倉濠を散策する途中で、いままで気づかなかった説明板に足がとなりました。<説明板> 馬場先門? 城跡ブログをやっているのにお恥ずかしい話ですが、こんな場所に城門があったことを知りませんでした。馬場先濠なら知っていましたが、そも…
<日比谷濠> いわゆる皇居のお濠です。今回は旧江戸城の濠の一部は、かつて海の入江だったという話です。 まずはこちらの絵図から<道灌時代の江戸城> 東京国際フォーラムの太田道灌像付近で撮影したものです。道灌は江戸城の築城者として知られていますね…
結城秀康ゆかりの寺を訪ねました。<森巖寺山門> 秀康はあの徳川家康の次男として生まれ、武将としての実力も備わっていましたが、弟の秀忠と比較すると、明らかに冷遇され続けました。ここ森巖寺は、若くして亡くなった秀康の位牌所として建てられたことに…