ゆかりの地 [都内]
<小菅万葉公園>こすげまんようこうえん 公園に設置されたこちらのプレートには、この地に徳川家の家臣・伊奈氏の下屋敷があったこと、そして屋敷内に8代将軍徳川吉宗の命で、御殿が造営されたことが記されています(1736年)。 小菅御殿と呼ばれ、将軍の鷹…
東京拘置所の向かいに鎮座する稲荷神社を訪問しました。<小菅稲荷神社鳥居>こすげいなり 現在の東京拘置所の敷地には、かつて江戸幕府の代官・伊奈氏の下屋敷がありました。屋敷内には将軍の鷹狩りの際の休憩所が設けられ小菅御殿と呼ばれていたそうです。…
東国での源氏勢力の基盤を造った源義家ゆかりの地を訪ねました。<六月八幡神社>ろくがつはちまんこちらです。堂々とした佇まい。はじめてお邪魔させて頂きました。 ただ…私はすぐお隣の寺院の参道の美しさが気になって仕方ありませんでした。 <炎天寺>え…
<近藤勇胸像>こんどういさみ 三鷹市の龍源寺の門前で撮影しました。龍源寺は近藤勇の生家宮川家の菩提寺です。新選組局長・近藤勇(幼名宮川勝五郎)は、ここから徒歩数分のところで生まれました。生まれた家も龍源寺も、古くからある街道に面しています。…
新選組局長・近藤勇の生家跡を訪ねました。 <近藤勇生家跡> こちらです。現地は調布市と三鷹市の市境付近。標柱と説明板の以外は、勇の産湯に使ったとされる井戸が残っているだけです。 <産湯井戸> 近藤勇はこの地で暮らす百姓・宮川家の三男として生ま…
<大イチョウ> 芝東照宮の大イチョウです。徳川家光が植樹したと伝わる神木です。説明板によれば推定樹齢は350年。それ以上というお話も耳にします。都の天然記念物に指定されています。 <芝東照宮>芝東照宮は日光・久能山・上野と並ぶ四大東照宮のひとつ…
東照大権現とは、徳川家康が亡くなったあとに贈られた神号のこと。権現とは、神仏が人という仮の姿でこの世に現れる事を意味します。2023年の大河ドラマ「どうする家康」では、3代将軍となる家光の乳母・春日局が、家康を指して「神の君」と呼んでいました…
港区赤坂でこんな光景と出会いました <勝海舟と坂本龍馬> いうまでもなく、師弟関係ですね この地は勝海舟屋敷跡とのこと。もっとも、勝海舟はたびたび引っ越しをしましたので、そのうちのひとつということになります。 <説明板と石碑> 勝安房邸跡と題し…
本日12月14日は赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日です。 ということで、本懐を果たした浪士たちが、泉岳寺に向かう道中に渡った橋をご紹介します。渡った橋なら他にもありますが、こぼれ話が伝わる港区の橋の話です。<金杉橋>かなすぎはし こちらです <国道15…
流山で新政府軍に捕らえられた近藤勇が、処刑までのあいだ幽閉されていた板橋宿の脇本陣跡を訪ねました。 <板橋宿脇本陣跡> 板橋宿の脇本陣跡です。脇本陣は、本陣の役割を補うための重要な施設。この地はその役割を担っていた豊田市右衛門の屋敷跡です。…
今回は新宿三丁目駅近くの天龍寺のご紹介です。 <天龍寺山門> 創建は1591年。開基は戸塚忠春とその娘、開山は小田原最勝寺五世の春屋宗能和尚と伝わります。 戸塚忠春? 遠江国の武士です(戸田忠春とも伝わります)。今川家に仕えて、今川義元が北条氏康…
今回は日暮里駅前の太田道灌像の話です。<太田道灌騎馬像> 道灌が馬で駆け抜けようとしている勇ましい姿です <鷹狩り> 戦ではなく鷹狩りをしている姿です その鷹狩りの最中の逸話として語り継がれているのが「山吹の里伝説」。文武両道で知られる道灌が…
今回は街のオアシスのようだった稲荷神社の引越の話です。神社仏閣ブログのつもりはありませんが、仙台伊達藩の屋敷跡ということで、ちょっとだけ触れさせて頂きます。場所は新橋5丁目の塩釜公園。仕事のついでに久しぶりに訪問してみて、異変に気付きまし…
今回は江戸の城下町のなごりの話です。 <新虎通り>しんとらどおり 新橋と虎ノ門の間だから新虎通り。分かりやすいですね。この道の中央分離帯には、この付近で発掘された江戸時代の石材が並べられています。 <石垣石> ただのお飾りではなく、埋蔵文化財…
柳生新陰流で世に知られる柳生家の上屋敷跡を訪ねました。場所は港区新橋6丁目、地下鉄御成門駅近くです。 <東京美術倶楽部> 知る人ぞ知る東京美術倶楽部のビルが建っています。明治時代に美術品取引などを中心に活動を開始した東京美術倶楽部は、当初は…
増上寺のお隣の敷地でこんな光景と出会いました。 <水路跡> 水路跡?こんなところに? 場所は日比谷通り沿いのこちらの門の先になります。 <旧台徳院殿霊廟惣門>たいとくいんれいびょう 当ブログでも何度かご紹介させて頂いている徳川秀忠(=台徳院)の…
今回は神田を歩いている時に出会ったお不動さんの話です。 <出世不動尊> あ、ここか… 出世不動尊の名は聞いたことがありながら、実物を目にするのは初めてでした。 <谷間>何となく神社のような雰囲気ですが、不動明王を祀るお寺です。ビルとビルの間にき…
源義家ゆかりの神社を訪ねました。 <銀杏岡八幡神社>いちょうがおか この地は、源義家が奥州平定へ向かう途上で、休憩のために陣を敷いた場所とされています。この時、義家は川上から流れついた銀杏の枝を、小高い丘だったこの地にさし、勝利を祈願したそ…
千代田区大手町の将門塚に久しぶりに訪問しました。<将門塚碑> ここは平安時代の豪族・平将門の首を祀っている場所です。都の指定旧跡となっています。 2021年4月にリニューアルしました。私の訪問は2022年7月ですが、普段からよく管理されているせいか、…
つわものどもが夢の跡打倒鎌倉幕府のために挙兵した新田義貞が、幕府勢と激突した古戦場を訪問しました。 <分倍河原古戦場碑>ぶばいがわら 新田義貞率いる軍勢と北条泰家率いる軍勢がこの地で激突しました。 ■新田義貞の挙兵■ 幕府の御家人であり、源氏の…
今回は港区浜松町のビルの谷間で味わえる石垣石の話です。 <石垣石> こちらです <プラザ神明> 場所は浜松町1丁目のプラザ神明。敷地の南側の路地沿いに、この地で出土した石が並んでいます。 <説明板> 石だけだと素通りしてしまいそうですが、ちゃん…
<旧田村右京太夫屋敷跡> 以下に抜粋します 『舊・田村右京太夫屋敷跡にして元禄十四年(辛巳3月14日)に淺野内匠頭の自刃せし所なり』とのこと。続いて淺野内匠頭の辞世の句です。『風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を 如何にとやせむ』 田村新交…
今回は元戦国武将の名に由来する橋の話です <将監橋>しょうげんはし 港区芝の将監橋です。橋の名は、この近くに屋敷を構えた岡田将監に由来します。 ■岡田善同■おかだよしあつ 尾張国に生まれ、織田信長から始まり、佐々成政や小西行長の配下を渡り歩き、…
今回は遠山金四郎、いわゆる『遠山の金さん』ゆかりの地のご紹介です。 <本妙寺山門>ほんみょうじ 山号は徳栄山 <説明板> 遠山金四郎景元之墓は東京都指定旧跡となっています <本妙寺本堂> 創建は駿府(1571年)で、徳川家康の江戸入城に際して江戸に移…
最後の将軍・徳川慶喜の屋敷跡の話です。<徳川慶喜公屋敷跡> 当ブログでは既に巣鴨の屋敷跡をご紹介させて頂いています。今回は文京区春日です。徳川慶喜が駿府での長い長い謹慎生活を経て江戸、ではなくて東京へ戻ったのが明治30年(1897年)。当初は豊島区…
今回は太田道灌が進軍の途上で植えたとされる槇の木の話です。<道灌槇>どうかんまき こちらです。太田道灌が植えた木が五百年以上の時を経て、今なお佇んでいます。凄いことですね。道灌槇と呼ばれています。 <荻窪八幡神社>おぎくぼはちまん お邪魔した…
戦国時代屈指の名門大名・今川家ゆかりの寺を訪ねました <観泉寺>かんせんじ ここは東京都杉並区です。こちらのお寺は駿河に君臨したあの今川家の菩提寺です。 ■足利の一門の名家■ 今川家は足利一門の名家。駿河国守護を代々継承し、戦国時代には大大名に…
今回は増上寺境内の水盤舎の話です。■水盤舎■すいばんしゃ こちらが増上寺の水盤舎です。参拝者が身を浄めるための場所ですね。「ちょうずや(手水舎)」という呼び方の方が一般的でしょうか。 説明板があります。こちらはもともと徳川綱重の霊廟にあったもの…
増上寺近くの港区役所でこんな光景と出会いました。 なんだろう 井戸の跡? 浅岡?飯たきの井? <説明板> まったく何のことかわかりませんでしたが、ちゃんと説明板が設置されていました。『江戸時代、ここに良源院(増上寺の子院)があり、仙台伊達家の仕…
<武士の背中と桜> [撮影:2019年3月] この構図が好きで、毎年春になると訪問してきました。ここは新撰組局長の墓所。そう、桜を見つめる武士は近藤勇です。武士の世が終わりに近づくなかで、武士として認められるべく幕府に尽し、最後はここ板橋で散った最…