23区
<御成塚通り>志村三丁目駅付近の御成塚通りです。「御成り」とつく場合、たいていは将軍ゆかりの場所。志村には、将軍が鷹狩で「お成りになった」際に築かれた塚が残されています。 <御成塚>こちらが志村公園内にある「御成塚」の跡です。 <目印>場所…
豊島氏の庶流板橋氏の居城跡と言われる場所を訪ねました。 だいたいこの付近であろうというところまで歩いて来て、北側(画像左上方向)にのびる坂を登りました。場所は板橋区稲荷台。ところ狭しと住宅が立ち並ぶ街ですので、地形の起伏だけを意識して探索し…
これは川です。水面は見えませんが、地下に埋設された稲付川(いなづけがわ)です。 北区の街中を流れる稲付川は、そのほとんどが暗渠化されているため、人に気付かれることもありません。 水の無い川に架かる橋跡 かつてはここから水面が見えていたのでしょ…
将軍が通った日光御成道の最終地点です。本郷追分で中山道と分かれ、岩淵宿・川口宿・鳩ヶ谷宿・大門宿・岩槻宿(岩槻城)を経て、幸手で日光街道に合流する約12里30丁(約48km)の道のりです。そのなごりを求めて過去にそれぞれの宿場跡を訪問していますの…
十度ノ宮(じゅうどのみや) 板橋区の舟渡氷川神社に祀られている十度ノ宮です。石の祠が荒川の洪水で10回流されたことが名の由来ですが、もうちょっと詳しい話を現地の説明板(板橋区教育委員会)から抜粋させて頂きます(『』内は原文)。 『十度ノ宮は、…
かつて荒川の重要な渡しだった「早瀬の渡し」の渡河点を訪ねました。 目的地とした板橋区の早瀬の渡し水神宮です。 早瀬の渡しそのものの歴史はそうとう古いですが、祀られている石碑は江戸時代に造られたものです。 水神は水を司る神。水辺の守護神がかつて…
<三鷹市龍源寺の近藤勇像>■近藤勇(こんどういさみ)江戸時代末期の武士・天然理心流四代目宗家・新選組局長・甲陽鎮撫隊隊長 ▼当ブログ『城のなごり』で紹介させて頂いた近藤勇ゆかりの地(都内)です。2026-02-01近藤勇の故郷・旧上石原村(調布市)近藤…
本日12月14日は赤穂義士の討ち入りの日。泉岳寺で毎年開催されている義士祭に、久しぶりに行ってきました。 <泉岳寺>赤穂浪士と主君・浅野長矩の墓があります。 <墓所入口>義士へのお供はひとりひとりの場合と、まとめて行う方法を選べます(お線香料は…
いたばし暗渠マニアックス展 板橋区立中央図書館の1階ホールで開催中の『暗渠マニアックス展 Vol.2 蓮根川水系編』を見学してきました。板橋区の暗渠に関する豊富な情報量と、ユニークな企画に大変満足な時間を過ごすことができました。なんと無料です。 当…
川越街道は江戸と川越を結ぶ10里34町33間半(約43km)の街道。平尾追分(ひらおおいわけ)で中山道から分かれ、上板橋宿・下練馬宿・白子宿・膝折宿・大和田宿・大井宿を経て川越城下に到達する道です。 では平尾追分とはどこなのか? おおまかに言えば、平…
世田谷城土塁跡 世田谷区の豪徳寺参道脇の土塁跡です。この地が吉良氏の居城だった時のなごりです。『大名の菩提寺』であることを意識して久しぶりに訪問しましたが、過去の訪問は城跡を意識しての訪問でした。その時の記録を下記にご紹介させて頂きますので…
井伊家菩提寺の豪徳寺には、桜田門外の変の時に、主を守ろうとして討ち死にした藩士たちの石碑が建てられています。桜田殉難八士之碑と刻まれています。殉難とは、危機に際して自らの身を犠牲にすること。この石碑はそれに報いるべく建てられたものと思われ…
豪徳寺 豪徳寺は江戸時代に世田谷を所領地とした彦根藩の藩主・井伊家の菩提寺です。 <参道>古くからあった弘徳院を2代藩主井伊直孝が江戸の菩提寺と定め、直孝の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」に因んで豪徳寺に改称しました。 <山門> <境内>全ての…
世田谷城跡(豪徳寺)ちかくの八幡宮にお邪魔させて頂きました。 世田谷八幡宮 源義家ゆかりの八幡宮を、世田谷城主が再興し今に至ります。 世田谷八幡宮は『宮の坂八幡様』として親しまれています 祭神は八幡大神(応神天皇)そして仲哀天皇・神功皇后 源義…
世田谷領主吉良氏の菩提寺を訪ねました。場所は吉良氏が居城とした世田谷城跡(現在の豪徳寺)のすぐそばです。 <勝光院参道>勝光院は曹洞宗の寺院。世田谷領主・吉良氏の菩提寺として知られています。墓所は山門まで行かず、参道の向かって左手になります…
新選組局長・近藤勇の菩提寺・寿徳寺です。今でも多くの人が訪れる板橋駅前の近藤勇墓所は、この寺の境外墓地です。寿徳寺が墓所を管理するとともに、近藤勇の命日にあわせて墓前供養を行っています。 板橋駅前の墓所と同じ石板ですね。 近藤勇墓所は、新選…
芝東照宮の参道には、函館の五稜郭を設計した武田斐三郎の功績をたたえて石碑が建てられています。 武田斐三郎顕彰碑 かなり立派です。ただ目立つ石碑ではないので、足を止める人はあまりいません。場所は長い参道の入り口付近です。 武田斐三郎は知る人ぞ知…
石神井城訪問後、城の天然堀の名の由来ともなっている寺院を訪問しました。 三宝寺 真言宗智山派の寺院です。創建は応永元年(1394年)。鎌倉大楽寺の僧である幸尊法印開山と伝わります。三宝寺池の名の由来になっています。 <根本大塔・本堂> 立派な寺院…
道場寺 豊島輝時より創建されたと伝わる練馬区の道場寺です。石神井城のすぐお隣です。城の縄張り図を参考にすると、城の一部だったような印象です。 伝承によれば、豊島輝時は、鎌倉幕府第14代執権北条高時の孫(時行の子)で、石神井城主だった豊島景村の…
石神井城 主郭跡 南武蔵の有力武士・豊島氏の居城跡です。場所は石神井公園内。城は三宝寺池と石神井川に囲まれた台地上に築かれました。 左手の丘は城が築かれたのと同じ台地です。台地から飛び出た舌状台地となっていますが、城はその先端ではなく、中ほど…
太田道灌が豊島氏の石神井城を攻めるために築いた陣城跡を訪ねました。 愛宕山砦跡 訪ねたといっても進めるのはここまでです。愛宕山砦跡と推定される場所は、現在は高校の敷地となっています。もはや明確な遺構は残っていないと聞き及んでいますが、過去の…
練馬城堀跡 練馬城は南関東で勢力を拡大した豊島氏が築いた城です。本拠である石神井城の支城と考えられています。他の豊島氏の城と同様に石神井川沿いに築かれ、主に南岸の丘陵地の自然地形を利用した山城(平山城)でした。 練馬城跡の最寄り駅は豊島園駅…
春日神社(練馬区) 練馬区春日町の春日神社です。創建の詳細は不明ながら、藤原氏の流れをくむ工藤氏が祖先を祀って創建したと伝えられています。場所は練馬城址公園の北側。戦国時代には、練馬城主だった豊島泰経が、一族の守護神として崇敬したとも伝わり…
長命寺 板橋区東山町の長命寺です。豊島氏の庶流板橋氏の居城跡と推定されています。画像で見る以上に石は巨大です(城とは無関係)。左手は石神井川沿いの低地で、境内とは高低差があります。中世の居館が築かれる場所としては、何となく納得できます。 石…
川越街道の宿場跡を分割して訪問しています。今回は江戸側からみて最初の宿場だった上板橋宿跡を訪問しました。 こちらは街道沿いの豊敬稲荷神社です。 境内には板橋区教育委員会さんによる『旧上板橋宿概要図』が掲示されています。 こんな感じだったのです…
板橋駅近くの近藤勇墓所には「埋葬当初の墓石」とされる石があります。 近藤勇埋葬当初の墓石 過去に何度かお参りさせて頂いていますが、気付いたのは初めてでした。 流山で捕らえられた近藤勇は、新政府軍が待機している板橋宿に送られ、取り調べ後に斬首(…
香川元太郎「日本の城」イラスト原画展 日比谷図書文化館で開催されている「香川元太郎「日本の城」イラスト原画展」に行ってきました。香川さんの城郭イラストには、過去にどれだけ助けてもらったことか…。昨年(2024年12月)の訃報は、多くの城郭ファンの…
<不動の滝>板橋区赤塚の東京大仏通り沿いにある不動の滝です。 <現地説明板>江戸時代に流行した富士詣りや大山詣りの人々の清めの場として使われたことが記されています。心身を浄めることを水垢離(みずごり)というのですね。一部転記させて頂くと『滝…
<文殊菩薩像>板橋区の乗蓮寺で撮影した文殊菩薩像。なんともいい雰囲気です。立札には智慧を授けるの文字。ありがたいですね。思わず手を合わせました。 この時はそれ以上はこだわることなく現地を去りましたが、「津藩主藤堂家旧蔵」と記されていたことを…
<天保飢饉供養塔>板橋区赤塚の乗蓮寺で撮影した天保飢饉の供養塔です。乗蓮寺は昭和になって現在の地に移りましたが、江戸時代は板橋宿の中宿にあり、宿場の中心的な寺院でした。 設置されている説明板によれば、大規模な飢饉で増加する餓死者や行き倒れに…