城のなごり

消えてなお残る余韻を求めて城跡を訪ね歩く記録です。

静岡

武士たちから始まる茶畑(島田市)緑茶の日にお茶の話でも…

毎年立春から数えて八十八夜となる日は「緑茶の日」とされています。2025年の場合は5月1日、本日です。ということで、静岡の城跡巡りの最中に知ったお茶の話をご紹介させて頂きます。 <島田市>こちらは静岡県島田市の茶畑です。幕府崩壊により失業した徳…

足柄城のなごり

駿河と相模の堺となる足柄峠。ここに築城された山城を訪ねました。<足柄城跡>あしがらじょう 静岡県小山町と神奈川県南足柄市の境です。城は旧東海道の足柄古道に沿いに築かれました。 足柄城は西相模に進出した大森氏が、街道を押さえるために築いたと考…

山の頂上付近の湧水池(足柄城)玉手ヶ池

足柄峠に築かれた山城の頂上付近には、かつて地下水が脈々と湧き出る池がありました。 <玉手ヶ池>画像の奥が池の跡とされています。ここは足柄城の一の郭(主郭)の東隅。山麓、又は中腹ならともかく、標高の高い山のほぼ頂上です。 <現地の立札>近くの…

足柄峠の関所跡(足柄道)古代東海道における東国の出入り口

古くは官道として利用された足柄道の関所跡を訪ねました。<足柄之関>あしがらのせき ここは律令国家の時代の東海道で、駿河と相模の堺です。 <足柄峠の標柱>標高759mですか。高さ云々より道の傾斜の方に気をとられます。 <説明板> 「古代の足柄の関」…

源義光ゆかりの石(足柄峠)新羅三郎義光吹笙之石

むかし難所と呼ばれた足柄峠には、源義光ゆかりの石があります。<源義光ゆかりの石> ここは神奈川と静岡の県堺の山中です。厳密に言うと石は峠の静岡側にあります。 <説明板> 石のそばに説明板が設置されています。引用も交えながらご紹介させて頂きます…

石畳の下に眠る障子堀(箱根旧街道)

<箱根旧街道> 箱根旧街道とは小田原から三島にいたる街道。山を含めた箱根八里の道には、石田畳が敷かれ、険しいながら人気の道となっています。 <山中城> その途上に位置する山中城は「障子堀」で有名な城です。かつて豊臣秀吉率いる天下軍の前に立ち塞…

浜松城のなごり 家康が17年間居城とした城

つわものどもが夢の跡 今回は「出世の城」と呼ばれる浜松城です <浜松城天守> 徳川家康が17年間にわたり居城とした城です ■浜松城の前身■ この地にはもともと曳馬城(引間城)と呼ばれる城がありました。浜松城の前身といわれる小規模な山城です。築城者に…

石川数正の鞍替えと徳川家康の城替え(浜松城を去る家康)

<家康像> 浜松城で撮影した家康像です。下に『若き日の徳川家康公』と記されています。そういえば、他の銅像と比べると、ちょっとほっそりしていますかね。右手にはちょっと変わった武器?ではなく勝草(カチグサ)とも呼ばれたシダの葉です。 <浜松城> …

浜松城の野面積み

今回は「野面積み」の代表作といっても過言ではない浜松城の石垣のご紹介です。<模擬天守> 復元された天守も立派ですが、城郭ファンの間で有名なのが土台の石垣です。自然の石を加工せずにそのまま積み上げています。 ■野面積み■のづらづみ この言葉は石垣…

引間城のなごり 浜松城内の古城

つわものどもが夢の跡 今回は浜松城の前身ともいえる城跡の話です。<引間城跡>ひくま 曳馬城跡(引馬城跡)と記された石碑です。かつてここには引間城と呼ばれる城がありました。 <浜松城の縄張り>右上が●現在位置です。 <説明板> こちらの説明によれ…

秀吉にとってもゆかりの地・浜松(元城町東照宮の銅像)

浜松城と聞いて思い出すのは徳川家康。そんな思いで訪問した現地で、こんな銅像と対面することとなりました。 左は家康として右の少年は誰? ここはかつての浜松城内に位置する元城町東照宮です。東照宮だから家康。これは想定していましたが、子供が家康と…

高天神城のなごり

つわものどもが夢の跡武田勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げた城跡を訪ねました。 <高天神城本丸>たかてんじんじょう ■三方が断崖絶壁■ 高天神城は三方が断崖絶壁という天然の要害です。麓からの比高約100m強の山に築かれたこの城は、激戦を繰り返す…

最後の改修者のなごり 高天神城の横堀

今回は高天神城に残る長い横堀の話です。 <横堀>よこぼり この堀は徳川から奪い取った城跡を、武田勝頼が改修した時に掘られた横堀です。 <説明板> 武田による堀であることが記されています 高天神城は三方が崖であるのに対し、西側の斜面だけはやや緩や…

城用語 御前曲輪 御前とは(高天神城 御前曲輪)

要害の地に築かれた高天神城の本丸付近に『御前曲輪』と呼ばれる曲輪があります。この御前は、身分の高い武将に対する敬称ではなく、神仏を指すと受け止める方が適切のようです。曲輪とは城の区画のことですので、それに御前がつくということは、何らかの祭…

荒々しい山城で出会ったほのぼのパネル武将(高天神城 御前曲輪)城主・小笠原信興のなごり

武田と徳川による壮絶な争奪戦のなごりを留める高天神城。歴史的な重みに加えて、かなり特徴的な縄張りと見事な遺構、そして荒々しい山肌。それほど大きくはありませんが、城マニアをうならせる『中世の土の城』です。そんな城跡ですから、あまり『観光地』…

信玄でも落とせなかった山城を攻略した武田勝頼(高天神城)

武田勝頼は父である信玄でも落とせなかった高天神城の攻略に成功した武将です。

犬戻り猿戻り(高天神城)横田甚五郎が抜け去った尾根道

つわものどもが夢の跡今回は天然の地形を巧みに活かした高天神城の険しい尾根道と、そこを駆け抜けた戦国武将の話です。 <甚五郎抜け道> ここは険しい山城の抜け道。細い尾根道が続き『犬戻り・猿戻り』とも言われる難所です。意味ですが、たぶん機敏な犬…

大手門番所 掛川城大手門のなごり

つわものどもが夢の跡 今回は城門と番所の位置関係が絶妙な掛川城の大手門の話です。<大手門の外観> 威風堂々!立派です! ■復元された大手門■ 実はこの門の存在を事前に知っていたわけではなく、掛川城から駅までの帰り道に偶然みつけました。行きとは違…

掛川城のなごり

つわものどもが夢の跡山内一豊の居城として知られている掛川市の山城を訪ねました。<山頂の復元天守> ■中世から始まる城■ 始まりは駿河の守護大名今川氏が、勢力拡大を目論んで築かせた山城でした。築城者は今川氏の重臣・朝比奈泰煕(やすひろ)。以降代々…

欠川と呼ばれた川 掛川城下の逆川にて

この日は駅から徒歩で掛川城へ。まもなく到着というところで、橋を渡ることになりました。 <松尾橋> 山頂に築かれた掛川城天守が既に見えていましたが、しばしここで足を止めました。城好きなら当然想像するであろうことを味わうために。 これが天然堀だっ…

千代と一豊と駿馬 清水銀行掛川支店にて

掛川城へ向かう途上、古風な建物と出会いました。 城下町を思わせるこの素敵な外観。良く見たら銀行でした。清水銀行掛川支店です。建物も魅力的ですが、外壁のレリーフがひときわ目をひきます。場所が場所ですから、あの武将は掛川城主にもなった山内一豊?…

駿府城下 上石町のなごり

城下町を訪ねると、職業や身分に由来する地名をよく見聞きしますよね。鍛冶屋さんが住んだであろう鍛冶町、人形を作る職人又は扱う商人が住んだであろう人形町、染物商(紺屋)が多く住んだであろう紺屋町、呉服町、材木町、大工町などなど。 身分だと鉄砲足…

家康が青春時代を過ごした駿府(今川館)

(駿府城の追記です) <駿府城本丸跡の家康像> 徳川家康が少年時代を人質として過ごしたことはよく知られていますね。今川義元のもとで預かりの身となり、8歳から18歳までの約10年を駿府(現在の静岡市)で過ごしました。もう少し具体的言うと、今川家…

駿府城のなごり

つわものどもが夢の跡 今回の訪問は天守台の発掘調査真っ最中の駿府城跡です。一般人も見学できると聞き、訪問しました。 こちらは復元された駿府城の櫓です ■近世城郭■戦国の世に終止符を打ち、江戸幕府を開いた徳川家康は、将軍職を三男の秀忠に譲り駿府へ…

諏訪四郎勝頼のなごり(諏訪原城跡にて)

武田勝頼は弱くない! 以前そんなタイトルで投稿したことがあります。諏訪原城訪問で同じ思いが込み上げてしまいました。ほぼ同じ内容ですが、そんな内容で良ければお付き合い下さい。<諏訪原城跡> ■弱いイメージ■ 甲斐武田家第20代当主の勝頼。武田信玄の…

諏訪原城のなごり(島田市)諏訪大明神を祀った城

つわものどもが夢の跡駿河と遠江の国境に築かれた城跡を訪ねました。 <諏訪原城土橋跡> 貴重な遺構。国の史跡となっています ■舌状台地の丘城■ 今回訪問の諏訪原城は、台地の突き出た部分の先端に築かれた山城です。いわゆる舌状台地ですので三方に高低差…

早雲生涯の居城 韮山城のなごり

つわものどもが夢の跡戦国初期の英雄・北条早雲生涯の居城を訪ねました。 <韮山城> にらやまじょう ■ 早雲の居城 ■ 北条早雲の城として知られる韮山城。その築城年については、あまりはっきりしたことは分っていません。既にあった小規模な城を、この地を…

暗渠と城跡18 谷戸の水と興国寺城

(興国寺城の追記です) <低地と山城> [静岡県沼津市根古屋] 山麓の地形を利用して築かれた興国寺城。高台から低地へ降り立つと、見事な暗渠が続いていました。 深い谷戸から続く暗渠。奥の山が城跡です。 ■ 暗渠と城跡 ■あんきょ 当ブログでは、都市化によ…

早雲始まりの城 興国寺城のなごり

つわものどもが夢の跡 北条早雲の最初の居城として知られる沼津市の城跡を訪ねました。 <興国寺城> 北条早雲はのちに関東覇者となる小田原北条氏の祖。韮山城を拠点としたことで知られていますが、最初の城はここ興国寺城です。当時の名は伊勢新九郎盛時。…

武田勝頼は弱くない 城跡巡りで感じること

(蒲原城訪問の追記です) <蒲原城北曲輪>かんばらじょう 今回訪問の蒲原城跡は、ほんとうにいろんなドラマのあった山城です。今川の城であり、北条の城でもあり、武田の城でもあります。こんな拙ブログではとてもその全てご紹介できませんが、訪問してみて…