城跡[都内]
<伊奈氏屋敷跡> ここは江戸時代に関東の治水事業で名を馳せた伊奈氏の下屋敷跡です。関東代官伊奈忠治は、この地に約10万坪という広大な土地を与えられました。屋敷内にはのちに将軍家の鷹狩の際の休息所が設けられ、小菅御殿と呼ばれました。 <小菅御殿…
東京駅のすぐ近くで城のなごりを感じてきました。 ここは東京駅八重洲北口から徒歩数分のところです。ただの植え込みと思って通り過ぎてしまいそうですが、よく見れば立派な石が積まれています。 これらはもともと江戸城の一部だったもの。江戸城外堀で使用…
<内幸町>うちさいわいちょう こちらは都営三田線の内幸町駅。内幸町は港区の地名です。かつては大名屋敷が建ち並んでいたこの付近、江戸城幸橋御門の内側に位置していることが名の由来といわれています。 幸橋御門は、肥後国熊本藩主の細川忠利に築かれまし…
江戸城の山下門跡を訪ねました。 <山下門跡>この付近になります。山下門は江戸城の外濠に設けられた城門で、いわゆる江戸城三十六見附に数えられています。ただ現状はご覧の通りで、枡形の石垣など、ありし日を思わせるような遺構は存在しません。 ただし…
つわものどもが夢の跡 新田義貞率いる軍勢が鎌倉幕府軍と激突した古戦場を訪問しました。<久米川古戦場碑>くめがわ ■新田義貞の挙兵■ 1333年(元弘3年)、後醍醐天皇の命を受けた新田義貞は、鎌倉幕府を倒すべく上野国で挙兵しました。当初は少人数だったも…
東村山市の久米川古戦場跡を訪問した際、すぐ近くに砦跡と関係がありそうな場所があることを知り、足を伸ばしてみました。<徳蔵寺山門>とくぞうじ こちらです。住宅地に毅然と佇む山門 事前に調べることもなく、地図に記されていた徳蔵寺塁跡という文字だ…
<勝陣場橋>かつじんばばし 東村山市と所沢市の境を流れる北川に架かる橋です。戦に勝利した軍勢が通ったと伝わる橋です ここは久米川古戦場跡のすぐ近く。鎌倉幕府を倒すために挙兵した新田義貞の軍勢が、これを阻止せんとする幕府軍と激突した場所です。…
今回は見附の土塁を意図的に前後にずらして築いた虎口のなごりの話です。<喰違見附跡>くいちがいみつけ ただの道?まぁそうなんでが、奥の土塁が江戸城外郭門のなごりです。もうちょっと接近してみますかね。 <喰違虎口>くいちがこぐち 虎口とは入口のこ…
<牛込見附跡>うしごめみつけ 牛込見附はいわゆる「江戸城三十六見附」のひとつ。江戸城から神楽坂などを経由して板橋方面に向かう道筋に目を光らせる役割を担いました。 <石垣> 石垣はそのなごりということですね <説明板>親切な説明がなされています…
今回は神田川に架かる橋の話です。<小石川橋> ただの橋?ではありますが、ここはもともと江戸城の城門が設けられていた地点です。 <説明板> こちらに詳細が記されていますので、以下に転記させて頂きます。 『江戸城外郭門のひとつ。小石川門は、1636年…
小石川後楽園の外壁には、江戸城外堀の発掘調査で出土した石垣材が使われています。小石川後楽園の西側です。築地塀も立派ですが、この日のお目当ては石垣の方です。 しっかりとプレートに記されています。外壁の全てではなく、あくまで外壁の一部が、かつて…
<高輪3丁目付近> 武蔵国進出を目論む北条氏綱が、扇谷上杉軍と激突した高輪原の戦い。高輪原、つまり現在の港区高輪です。高級な街として知られていますが、起伏も多く、地形的に興味深い街です。大筋では、北西一帯が台地上、南東は海に向かって低地とな…
<郡代屋敷跡>ぐんだいやしき 神田川に架かる浅草橋の南側には『郡代屋敷跡』と記された説明板がたてられています。 郡代といえば関東郡代の伊奈一族(とは限りませんが伊奈氏が有名)。古くから徳川家康に仕えていた伊奈氏は、家康が江戸城に移ってからは…
街道の要衝に設けられた見附跡を訪ねました。 <浅草見附跡> 場所は浅草橋駅近く。神田川沿いです。いまでこそ石碑のみですが、かつては江戸城三十六見附の一つに数えられる見附が設けられていました。 <浅草橋> こちらは神田川にかかる浅草橋です。冒頭…
<石碑> 福井松平藩邸跡と刻まれています この石碑は台東区浅草橋でみつけました。左側には福井中学校の文字。中学?そのなぞは石碑の下に記されている説明文ですぐに解けました。 こちらによれば『この地はかつて越前福井藩邸が置かれたことに由来して福井…
今回は高速の高架下で見かけた石垣と江戸城の城門の話です。<石垣> 城好きとしてはなんとなくいとおしい光景です <神田橋> 場所は千代田区の神田橋付近。冒頭の画像は日本橋川に架かるこの橋の上から撮影しました。かつてここには神田橋御門と呼ばれる江…
今回は東京ガス本社の敷地に佇む石垣の話です。 立派です! 場所は港区海岸。浜松町駅から徒歩で5分程度と言った方が伝わり安いでしょうか。道路から既に石垣が見えています。 あくまで会社の敷地ですので、正面入り口は「関係者以外立ち入り禁止」となって…
<溜池櫓台跡>ためいけやぐらだいあと 銀座線の虎ノ門駅近くを歩いていると、こんな光景と出会えます。 ここにはかつて江戸城外堀の櫓台がありました。まぁ外敵に備えての見張り台とご理解下さい。名称にある通りで「溜池」方面を見張るための施設でした。 …
つわものどもが夢の跡今回は三鷹市の川沿いの丘に残る城のなごりの話です。<天神山城>てんじんやまじょう こちらです。斜面を下った先には川が流れています。城に関する詳細は不明ですが、深大寺城の支城として築かれたとする説、小田原北条氏が築いたとす…
つわものどもが夢の跡今回は徳川幕府に旗本として仕えた柴田勝重の屋敷跡の話です。勝重?でピンとこない方も多いかと思います。祖父の名は勝家。織田信長の重臣で、のちの勢力争いで秀吉に敗れたあの柴田勝家ですね。その孫が勝重です。 <島屋敷跡> こち…
つわものどもが夢の跡かつて武士の砦があったと伝わる調布市の丘を訪ねました。<柴崎稲荷神社>しばさき 最寄り駅は京王線の柴崎駅。徒歩圏内の住宅地の小高い丘に鎮座するこの稲荷神社周辺が、砦跡ではないかと言われています。 ■現地訪問■ <柴崎稲荷神社…
前回は日本橋川沿いの一ツ橋門跡をご紹介させて頂きました。その数百メートル上流の橋で、こんな説明板を見つけました。 <雉子橋>きじばし <説明板> 橋の説明かと思いきや見附?一ツ橋門のすぐそばですが、どうやらこちらにも雉子橋門と呼ばれる城門があ…
今回は日本橋川沿いを歩いていて偶然見つけた城のなごりの話です。 <一ツ橋門跡> あの形はもしかして 高架下の目立たない所にありますが、明らかに城門の土台となる石垣です。こんなブログをやっていますが、意識して訪問したわけではなく、まったくの偶然…
今回の訪問は世田谷区の豪徳寺です。大名井伊家の菩提寺として知られている一方で、招き猫発祥の地としても知られ、縁起の良いスポットとして人気です。■豪徳寺の概要■ごうとくじ 曹洞宗の寺院です。当地は戦国時代には吉良家の居城・世田谷城でした。城主の…
<赤門> 東京大学を象徴する存在ですね。そしてこの敷地が、もともとは前田家の屋敷跡ということも比較的有名なお話。今回はその辺りをもうちょっとだけ詳しくご紹介したいと思います。 ■大名の屋敷■ 前田家の場合、上屋敷がここ本郷、中屋敷は本駒込、そし…
つわものどもが夢の跡 今回は源氏の末裔のとされる豪族の館跡を訪ねた時の記録です。場所は品川区旗の台。東急大井町線の荏原町駅の北側です。 ■法蓮寺■ほうれんじ <荏原氏館跡>えばら 館跡の一部と推定されている日蓮宗の法蓮寺です。 こちらの寺院は、こ…
つわものどもが夢の跡 前回の『馬込城跡』に引き続き、今回も小田原北条氏家臣・梶原氏によって築かれたと伝わる城跡です。<新井宿城跡>あらいじゅく 低地に面した急斜面 ■訪問記■ 訪問したのは大田区山王の熊野神社。JR大森駅から徒歩で10程度の距離です…
つわものどもが夢の跡小田原北条氏の家臣の城跡とされる場所を訪ねました。<馬込城跡> 画像は大田区南馬込の湯殿神社。この付近一帯が小田原北条氏家臣・梶原助五郎(三河守)の所領で、その居城については諸説あるなか、この地も候補とされています。 湯…
つわものどもが夢の跡木曽義仲四天王の一人が砦を築いたと伝わる場所を訪ねました。<現地> こちらが今井四郎が砦を築いたと伝わる場所です。現在は氷川神社となっており、こちらは境内社の鳥居です。 ■赤坂氷川神社■ひかわじんじゃ <現地到着> ここです…
日比谷濠から和田倉濠を散策する途中で、いままで気づかなかった説明板に足がとなりました。<説明板> 馬場先門? 城跡ブログをやっているのにお恥ずかしい話ですが、こんな場所に城門があったことを知りませんでした。馬場先濠なら知っていましたが、そも…