城のなごり

消えてなお残る余韻を求めて城跡を訪ね歩く記録です。

神田橋門のなごり(千代田区)高架下の石垣

今回は高速の高架下で見かけた石垣と江戸城の城門の話です。
<石垣>
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城好きとしてはなんとなくいとおしい光景です

<神田橋>
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場所は千代田区神田橋付近。冒頭の画像は日本橋川に架かるこの橋の上から撮影しました。かつてここには神田橋御門と呼ばれる江戸城の門がありました。いわゆる江戸城三十六見附の一つです。

<橋の近く>
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橋のすぐそばの小さな公園に千代田区による説明板が設置されていました。

<説明板>
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説明文によれば、ここは『芝崎口門・神田口門・大炊殿橋門とも呼ばれ、将軍が上野の寛永寺に参詣に行くための御成道となるため、門の警備は厳重でした』とのこと。寛永寺増上寺と並ぶ徳川家の菩提寺ですね。さらに、この道は将軍家が日光東照宮へ向かう時の通り道でもあったので、警備が厳しいは当然かもしれません。芝崎と神田は地名由来として、大炊殿橋門?これは土井大炊頭(おおいのかみ)の屋敷が近くにあったことと関係があるようです。古河藩主、そして大老にまでなった土井利勝のことです。

また『門は1629年(寛永6年)に下野真岡藩藩主稲葉正勝により構築され』たと記されています。稲葉正勝はのちに小田原藩主、そして老中を務めた大名です。母である春日局の方が有名ですかね?この縁もあり、正勝は幼少期より、のちに3代将軍となる徳川家光に仕えていました。

<説明板の地図>
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神田橋は赤丸の位置です。日本橋川下流隅田川と合流するため、江戸城築城の際には、建築材料などの荷揚げが橋のすぐそばでおこなわれました。いかに重要な門であったか伝わってきます。あと、ちょっと話がそれますが、この地図は高低差が色分けされていて見やすいですね。平地の城と思われがちな江戸城ですが、実は山城であることが見てとれます。

<説明板の写真>
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1871年(明治4年)の神田橋門。現地の説明文には1873年(明治6年)に櫓門が撤去され』と記されていましたので、その直前の様子ということになります。「旧江戸城写真帖」とありますので、これは当時の写真師が絵師の協力を得て完成させたものです。少し筆が入っているのがわかりますね。

いまはこういった雰囲気は漂いませんが、橋は姿を変えて今でも現役であり、石垣の一部はそのまま残されています。

<高速の下>
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首都高速道路の高架下であるため目立ちませんが

<日比谷通り>
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日比谷通りの一部であり、重要な役割を担う橋です

<古い護岸>
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<むかしの石垣>
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いいですね ということで 都市に埋もれている神田橋門のなごりのご紹介でした。

■訪問:神田橋
[東京都千代田区大手町]1丁目
[   〃  神田錦町]1丁目

■参考及び出典
現地説明板(千代田区