
伊奈町の伊奈氏屋敷跡を訪問しました。
江戸幕府創設期に活躍した伊奈忠次が築いた陣屋跡です。忠次は戦場の武功よりも、裏方仕事で評価された人物。関東の治水・新田開発・検地・街道整備を主導し、江戸へ移った徳川家の基盤を造りに大きく貢献しました。
実は訪問は2度目です。前回は藪に拒まれ、更に私有地との区別ができず深入りできませんでした。私有地が多いことは今も同じですが、散策路が整備され、説明板も充実。このような無料パンフレット(伊奈町教育委員会)まで設置されていました。
私が入口と思っていた場所は屋敷の裏門跡。裏門から入って表門から出る探索となりました。
では屋敷跡へ。その前に教育委員会さんの説明を確認
関東郡代伊奈忠次が、周囲を泥深い湿田に囲まれたこの台地に陣屋を構えたこと(1590年)、関東の幕府直轄地を支配する拠点としたことが記されています。また、三代忠治が川口市赤山に陣屋を移した(1629年)ことにもふれられています。今回訪問の屋敷跡は、初代忠次と二代忠政(忠治の兄)の拠点でした。
説明板の右側には発掘調査中の障子堀の写真も掲載されています。説明板が設置されているまさにこの区画に障子堀があったようです。失われたのではなく、調査後の埋め戻しで地中に保存されています。
まぁ何というか…
こうやって全体の構造を見る限り、ほぼ城ですね。屋敷・陣屋としか呼ばれないのは、城は国にひとつという決まりがあったからでしょう。
ここは裏門付近の堀跡です。見どころのひとつです。
では更に「城」の奥へ。前回訪問時は、この道は堀跡であろうと思いましたが、もともと道だったようです。ただ周囲の土塁に城のなごりが漂います
クランク状に直角に曲がる道
どこを歩いても伊奈氏屋敷跡だということに満足しながら…
昔はなかった散策路へ。ここは堀跡でしょう
屋敷跡とされる平らな区画
また散策路。この繰り返しを楽しみながら歩き回りました。
屋敷西側の平らな区画には頭殿(ずどの)権現社。陣屋の守護神として祀られていました。
社殿のお隣に説明板が設置されていました。絵図が分かりやすいので拡大させて頂きます。
まるで島のようですね。伊奈屋敷は沼や低湿地に囲まれた台地に築かれました。規模は東西約350m、南北約750mとのことです。


引き続き土塁などを見ながら散策
右往左往しながら歩いてきましたが、まもなく表門跡のようです。
奥に見えているのは表門近くの二の丸跡

二の丸跡にこんな立派なプレートが…初訪問の時ははありませんでした。というより、ここが二の丸という意識もありませんでした。とてもありがたいです。
どうやら、二の丸の正確な位置についてはまだ調査が続いているようです。現時点ではここと思うことにします。説明文によれば、屋敷跡の西から南側の原市沼川は、かつては二の丸近くまで広がる大きな沼だったようです。天然の堀だったわけですね。

二の丸跡。平らな区画に多少の起伏を感じるものの、当時の姿までは想像できません。


そしてここが表門跡。先ほどの二の丸、そして原市沼川との位置関係も分かりやすい。
屋敷内は以上です。
最後に、かつては巨大な沼だったという低地を味わってから駅へ戻ることにしました。


こちらが説明文にあった原市沼川。現在の原市沼ともつながっています。大きな沼は姿を消しましたが、いまでも水が豊かです。

その低地に浮かび上がるような台地。幕府の基盤を築いた伊奈氏が活動拠点とした場所です。
以上です。
私が歩いた場所の大半は私有地と聞き及んでいます。見学させて頂き、ありがとうございました。

伊奈氏屋敷のなごり
------■ 伊奈氏屋敷 ■------
別 名:伊奈陣屋・伊奈城
築城年:1591年(天正19)
築城者:伊奈忠次
屋敷主:伊奈忠次・忠政
廃城年:(不明)
[埼玉県伊奈町大字小室]280